プロが教える千代田区 税理士

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経済に関して言えば、バブル崩壊以降、「財政出動」か「構造改革」かという議論がずっと続いてきたが、どちらの立場に立ったとしても、理論が正しいことを前提にすると、いくらでも言い様はあるのだ。 たとえば、「財政出動で経済はよくなる」という理論を信じている人たちは、財政出動しても経済がよくならないときに、「財政出動の規模が足りないから経済がよくならない」、「財政出動のタイミングとスピードが悪いから、経済がよくならない」、「財政出動しても、地方にまでお金が行き届いていないからダメなんだ」、「財政出動していなかったら、今よりさらに悪い状態が続いていただろう」というような意見を言うことが多い。
逆に、「構造改革で経済がよくなる」という理論を信じている人たちは、構造改革をしても経済がよくならないときに、「構造改革が足りないから経済がよくならない」、「構造改革のやり方が悪いから経済がよくならない」、「構造改革には痛みが伴うものだ」、「構造改革の成果が出るまでには時聞がかかる」などの意見を言う。 いずれも、自分の理論が正しいことを前提にしていて、自分の理論を疑おうとしていない。
理論があくまでも正しく、現実のほうが間違っているという見方をしてしまっている。 これでは、議論がかみ合うわけはなく、むなしい平行線で終わってしまう。

こうしたことは、私が専門とする心理学の分野にも言えることだ。 フロイトが無意識というものを発見して以来、心理学者たちが人間の心に対して非常に借越なことを言うようになってしまった。
たとえば、患者さんを精神分析したときに、「あなたは無意識の性欲によって動かされていて、今は母親のおっぱいが欲しくなっているんだろう。 だから、こういう行動をしているんだ」などと解釈をする。
患者さんが「母親のおっぱいを吸いたいなんて思っていません」とか「母親に甘えたいなんて、思っていません」と言うと、治療者は「これは抵抗という現象が起こっているから認めようとしないんだ。 抵抗が起こるということは、本当のことを言われたからだ。
人間の精神というものは当たっているほど無意識的に認めたくなくなる。 だから、私のこの解釈は正しい」と考える。
逆に、患者さんが「先生の言ったとおりかもしれない。 私はおっぱいを求めているような気がします」と言うと、治療者は「うん、確かに私の解釈は当たっている」と自説の正しさを肯定する。
要するに、患者さんがイエスと言おうが、ノーと言おうが、「自分の解釈は当たっている」と考えてしまうのだ。 結局のところ、理論のほうが正しいということになって、そこには患者さんの心は存在していない。
患者さんの心が最優先ではなく、患者さんの心よりも理論のほうが重視されてしまっているのである。 このように学問体系が発達してくると、現実には学問を超えた複雑な現象がいくらでも起こっているにもかかわらず、それらの現象を学問に当てはめて考えようとしてしまって、現実を軽視しがちになる。
「理論どおりになっていない現実がおかしい」ということになって、学問を疑うことをしなくなる。 つまり、学問に振り因されてしまっているわけだ。
ニ○世紀に学問体系が発達してきたことによって、確かに、社会現象や経済現象、自然現象、人間の行動や心理などが、いろいろな形で理論化されてきて、社会についての理解、自然界についての理解、人間理解などが進んできた。 しかしながら、学問によって解明された部分は、社会、自然、人間のうちのごく一部分であることも認めないといけない。

ニ○世紀に作られた学問体系では理解の及ばない世界のほうがはるかに多い。 また、さまざまな理論には前提条件というものがあるが、前提条件は時代が変わると変化するので、前提条件がまったく違っていて理論が当てはまらないことも多い。
ニ○世紀は学聞がさまざまな解答を与えてくれたが、それが当てはまらないことが増え、その限界が見え始めた今こそ、現実に立ち返って「脱学問」の姿勢を持つことが、二一世紀には必要ではないかと私は考えている。 N物理学から相対性理論へどのような学問の理論も、時代とともに変化していく。
自然科学においてすらそうだ。 かつてはN物理学が絶対だとされていた。
しかし、それを疑う人が現れ、Aの相対性理論が出てきた。 N物理学が絶対的なものであって、それを誰も疑わなければ、相対性理論は出てこなかった。
士円くは、天動説、地動説のケースも同じで、その当時まで広く信じられていた天動説を疑う人が出てきたことによって、地動説が生まれたのである。 学問というのは、このように既存の説を疑うことによって進歩してきた面もあるのだ。
教育分野でも、かつてとは違う考え方が生まれつつある。 一九六○年代以降、教育心理学には前提条件というものがあるが、前提条件は時代が変わると変化するので、前提条件がまったく違っていて理論が当てはまらないことも多い。

ニ○世紀は学聞がさまざまな解答を与えてくれたが、それが当てはまらないことが増え、その限界が見え始めた今こそ、現実に立ち返って「脱学問」の姿勢を持つことが、二一世紀には必要ではないかと私は考えている。 教育分野でも、かつてとは違う考え方が生まれつつある。
しかし、最近になって、脳科学の分野からこれらの現象を研究した結果、単純計算が脳の前頭前野を刺激して、創造性や意欲を賦活している可能性が高いことがわかってきた。 後世になってさらに進んだ学問が出てくると、「単純計算をさせると能力が伸びる」ということが証明されるのかもしれない。
こうして、科学の進歩とともに、従来の学説はどんどん書き換えられるのである。 脳科学の世界は特に学説の変化の大きい世界と言えるかもしれない。
つい最近までは、我々の脳細胞は、他の部位の細胞と違って、増えることがなく死んでいくだけだと考えられていたが、最近になって脳内で増えるニューロンがあることが発見された。 この新生ニューロンが脳内で重要な役割を果たすことも解明されつつある。
おそらくどの分野の学問においても、現在信じられている学説は絶対的なものではなく、今後いかようにも書き換えられていく可能性がある。 それが学問の本質と言えるだろう。
特に学者や開発者を目指す場合は既存の学説に振り因されることなく、学説を疑ってみることが重要になっている。 健康常識、医学常識を疑う世の中に流布されている健康常識についても疑ってみたほうがいいものがいくつもある。
たとえば、「タバコは健康に悪い」という常識についてである。 確かにタバコが健康を害するというデータはいくつもある。
しかし、誰にとってもタバコが健康に悪いのかどうかは、実のところよくわかっていないのだ。 人間はみな生物学的に同じ構造でできているように思われがちだが、違いもかなりある。
その点からの研究というのはまだ進んでいない面が多い。 今後ゲノム解析が進んでくると、ある遺伝子を持っている人にとってはタバコは悪いけれども、別の遺伝子を持っている人にとってはタバコはほとんど害を及ぼさないという結論が出る可能性もゼロではないのだ。

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